第21節 つぼい 坪井は、熊本城の北東部に位置し、西は京町台地に、南は上通りのある手取地区に、東は、黒髪地区に接しています。
坪井の名は、報恩寺の壺型の井戸が由来といわれています。城下町建設以前の坪井村は現在の黒髪地区西側までを含む非常に広い範囲にわたっていました。城下町の発展に従い次第に南から市街化が始まり、幕末には現在の坪井4-5丁目付近まで武家屋敷が進出していました。
江戸時代の地域の構成は、大まかに言うと、内坪井が上級武士の屋敷、外坪井・本坪井・新坪井が町人町で、2丁目・3丁目の裏に中級以下の武士の屋敷が密集していました。立町より北側(4-5丁目)は主として、細川家重臣の下屋敷で、この付近は田畑も残っていたようです。
現在の坪井は、基本的には、住宅地が中心の構成です。江戸から明治・大正にかけては、新町・古町と並ぶ熊本の商業の中心でしたが、現在は近隣商業地域としての色彩が濃くなっています。しかし、仁王さん通り周辺などでは若者むけの店が増えつつあるようです。
施設としては、市立必由館高校、夏目漱石内坪井旧居などがあります。全体的には、静かな雰囲気を残しているといっていいでしょう。
このページでは、【210】で内坪井、【211〜216】で坪井1-3丁目、坪井4-6丁目、壷川(寺原)地区を掲載することにします。(02/04/06、修正:02/11/17)
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【写真】=庚申橋から坪井川下流−坪井川の沿いの静かな住宅地です。ちょうど熊本城下町の北端に近い場所です。左手は坪井5丁目界隈、右手は壷川小学校裏で、下流に見えている橋は空壷橋(そらつぼばし)です。(撮影:02/11/04 解説:02/11/17 北緯32度48分49秒,東経130度42分38秒)
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